うつ病のきっかけ
まだ眠れない。。。
。。。スプラトゥーンやってただけなんだけどね。
しかし、とにかく昨日、今日体調が悪い!
別にストレス溜まってたわけじゃないのだけど。
原因はおいおい分かるだろと気楽に構えて。
『どうしてうつ病になったのか』を書いてみる。
自分の性格は、うつ病になりやすい人のどストライク。
●〜すべき思考が強い。
●自分も人もネガティブなところが目につく。
●不真面目に見せて結構真面目。
●自分があまり好きではない。
●感情移入しやすい。
リワークセンターの講義でうつ病について勉強をしたけど、なりやすい人の性格に殆どで当てはまる。
調子いい時はこの性格が武器になるのだけど、生活リズムが崩れたり嫌なことがあるとこいつらがざわざわ騒ぎ出すんです。
本題の『なんで私がうつになったか」ですが。
昨日も少し書きましたが、現在結構大きめの会社に勤めてます。
そこには名だたる有名大学の頭良男くん、良子ちゃんばかり。
そんな中、私は地方の無名大学卒。
まぁ、義男くん、良子ちゃんとは頭の出来が違うんですわ。
社内ではまさに醜いアヒルの子。
(自分で勝手に思ってるだけですが。)
その中、自分にしかできないやり方で評価されようと必死にあの手この手探しながらもがいて、社内で表彰されたり、営業プレゼン大会では優勝したりしました。
でも心の中では
『俺なんかが褒められるわけない。』
『まぐれまぐれ。評価されたのもたまたま。』
ってずっと思ってました。
受験勉強努力して大学に受かったわけじゃないし。
大学時代はろくに授業に出ずに麻雀したりサークルしたり。
入社して早々、教育主任からは教育放棄され(自分のことしか頭にない主任でした)、それでも学ぼうと他の人に弟子入りして色々吸収しました。
その師匠は会社から厄介者扱いされている人で、その人に付き随う私も白い目で見られてました。
大体、これが三年目ぐらいまで。
それでも希望と『成り上がってやる』の気持ちでなんとか頑張れてました。
四年目ぐらいかな。
教育放棄した主任が昇格し上司に。
やはり自分しか頭にない上司は、課内のマネジメントを一切やりませんでした。
年間巨額の受注を目標とする仕事を個人商店でみんなやってました。
日々、納期や期限、受注活動、年度計画などに追われる毎日。
正直人間らしい生活は何年間も出来ていませんでした。
その中で私は徐々に衰退していき、本来やらないといけない目玉案件から目を背けるようになりました。
もう日々の傷を止血するのに精一杯。
自然とやりたくない仕事、責任の重い仕事から逃げるようになりました。
ふと周りを見渡すと同世代の先輩、後輩はきちんと楽しそうにやってる。
『そっか、俺バカで使えない人間だから、その人たちとは違うんだ。。。』
焦りにも似た使命感と、24時間のしかかる重圧、劣等感。
当然相談したけど、私と同じくいっぱいいっぱいでみんなやってるから、人の心配をする余裕がみんなない。
これが一生続くのか。。
あれ?俺って生きてる意味ある?
そうだ。妻と子供がいるんだった。
子供が高校卒業したら自殺しようかな。
(今考えるととんでもないこと考えてましたね。)
夜中に過呼吸を起こしたり、朝ベッドから出れなかったりしたので、『これはやばい』ってことで決死の覚悟で近所の心療内科にいきました。
先生『あなたは、適応障害ですね』
私『テキオウ?』
先生『休職してストレスから離れて、薬を飲めば良くなりますよ』
2年前、一度目の休職は『適応障害』になって始まりました。
ありゃ。3時になるじゃん!
今日はここまでにして、続きは明日書くとしよう。
あー体調悪ぃ。
明日は少しだけでいいんで良くなってますように。
最後に。
元気な人から見れば「ああすればいいじゃん。」「何言ってんの?それは甘えだ!」って思うかもしれません。
ごもっともです。
こんなこと言われるのが怖くなったので書いときます。