Dont't think twice,It's all right~くよくよするなよ。~
自分のまわりに「何も考えていない人」がいる。
その発言することで人を傷つけることが分からない人。
将来を考えず自分が良ければよいとばかり安直な考えで行動する人。
店員や自分より立場が弱い人間を怒鳴り散らす人。
短絡的でそこに全く意図や考えがない人。
何も一人では判断できない人。
反省もしないし、振り返りもしない。
そんな人が私の周りにいる。
生きていて楽だろうなと羨ましく思う反面、そんな人間には絶対なりたくないと思う。
配慮や考えが無い人に腹が立ち、批判したくなるときがある。もしそれを口にしたら、あとできっと自分が恥ずかしくなるし、情けなくなってしまう。
でもどこか自分の中で配慮、考えが無い人がどこかで大勢から批判され、許しを請う為、泣いている姿を見たいという願望もある。
嗚呼。ややこしい問題。ややこしい自分の性格。
この前あった話。
路面電車ををホームで待っていたときのこと。
近くでいきなり大きなクラクションが鳴った。
びっくりしてその方向を見てみると男女の老人が線路に飛び出している。
路面電車は老人に突っ込みそうになっており、大きな音を立てながら急ブレーキをかけていた。
車内のつり革に掴まっていた人たちが大きく揺さぶられ体勢を崩しているのが見えた。
ぎりぎり老人は腰を抜かしながらホームに戻り助かった。
老人は「危なかったねぇ~」と言いながら二人で顔を見合わせケラケラと笑っている。
そのまま緊急停止した路面電車に手をかざして老人は停め、線路に落ちたメガネを笑いながら拾った。
何事も無かったように「あっ!この電車に乗らないと!」と言いながら老人は笑顔のまま、その電車に乗っていった。
何で冷静に判断が出来ないのだろう。
何で乗客や運転手に迷惑がかかる事だって想像がつかないのだろう。
何でメガネなんかより大事なものが分からないのだろう。
何で迷惑をかけたって思えないのだろう。
走り出した電車を見ながら、そこで老人が電車に跳ねられる姿が見たかった。と非道い考えが頭に浮かんだ。
そういう風に思ってしまった自分が怖くなり、反省した。
何十人という乗客の安心を犠牲にして、老人はメガネとスリルを手に入れた。
なんだかこういう人に出会うと、自分が損しているような感覚になってしょうがない。
当事者はこんなことで悩むことは無いんだろうな。と想像してしまう。
こういう考え方が、うつ病を招いてしまったのだろうか。
私の好きなボブディランの曲で「くよくよするなよ」。
やさしい声で話しかけるような歌声。ボブディランらしい恋愛を歌った曲。
英語で題名は「Don’t think twice,It’s all right.」という。
英語の知識が乏しい、自分が直訳してみると、
「人の二倍考えなくてもいいんだよ。」
何も考えていない人と書いたが、実は人の二倍必要の無いことを考えているのは自分なんだと思う。
だからいつまでも「くよくよ」しているのだと思う。
もっとシンプルに幸せを感じたい。
何か答えを探そうとぐるぐると考えたときは、「Don’t think twice,It’s all right.」という言葉を思い出したい。
くよくよするなよ。
趣味のはなし~VAPE~
趣味のはなし。
VAPE(ベイプ)。
いわゆる電子タバコ。近頃、日本でも人気が急上昇とのこと。
もう10年以上、ほぼ毎日タバコを吸ってきた。自分でも旨いと思っているのか、好きと思っているのか分からないまま、ニコチンという成分を摂取する為に吸っている。ようなもの。
一日平均1箱。自分はいったいいくら税金を納めたのだろう。おそらく、老人を10人死ぬまで裕福に暮らせるくらいの金額は払っているはずだろう。
「タバコハセンエンニシタホウガイイ」などと言っているお偉い方の賢くない発言があったりする。税収は上がるし、やめる人が増えて健康面にはいいからだって。自分の周りだがミクロに見ると、千円になったらみんなやめると思う。今のワンコイン以内だから喫煙者でい続けるのだ。喫煙率を下げるのと、税収は表裏一体。喫煙者(高額納税者)というカードは生かさず殺さず。国は喫煙者を変に刺激せず上手に使うべきだと私は思う。
今回の増税で毎日吸っているメビウス(マイセン)で490円になると予想されている。(ネット調べ)
単純計算で490円×31日=15,190円/月でしょ。
おそらく実際のところは20,000円弱使うことになりそうだ。
月のお小遣いは20,000円。(実際はこっそり買物をしているので40,000円くらいだけど)コーヒーも飲めやしない。飲みにもいけない。欲しいものも買えない。
話が超脱線したが、そこで始めたのがVAPE。電子タバコ。
私が買ったのはKANGERTECH(カンガーテック)のTOPBOXminiスターターキット。鉄を削りだしたようなプラチナムというカラーにした。(仕事中なので写真は載せられないが)
大人の趣味感が出てて、惚れ惚れするほどかっこいい。
値段は楽天で10,000円くらいだったかな。
VAPEとはニコチン(原則)やタールの入っていない様々な味があるリキッドを入れ、熱して霧状にして吸い込む吸引機(ペポライザー)のこと。
まだまだはっきり証明はされていないが、吸い込む煙(水蒸気)は害はほとんど無いらしい。
使用感としては、現在ニコチンはいれていないのでスロートキックというタバコ吸ったときの喉にぐっとくる感じは無いが、一服している感はある。味は何百種類もあり好みによって選択できるし、美味しいリキッドはびっくりするほど美味しい。
現在はタバコ:VEPE 7:3ぐらいで吸っているのでタバコが1箱/日から0.7箱/日に減っている。
そんな話はさておき、男のロマンの話をしよう。
私は文系大学を卒業したが、昔から機会いじりが好きだった。
子供のころはミニ四駆にハマり(社会人になっても一時期ハマったが)速くかっちょいいマシンを求めて日々研究を重ねていた。
男のロマンを私はこう考える。「Customize and Collection」
共感頂ける方もいるのでは。
この要素がVAPEには詰まっている。金銭的にもな影響もあり、ドハマりした。
Custmizeについて書くと・・・
VAPEはざっくり構成を言うと「MOD」と呼ばれるバッテリーが入っている電気を出力する部分と「アトマイザー(噴霧器)」という「MOD」からの電気でコイルを熱し、コットンにしみこんだリキッドを霧(煙)状にする部分に分かれる。(私の言葉では分かりにくいので他のサイトを見ていただいたほうがいいかも)
それぞれ様々な種類があるのだが、「MOD」=A社、「アトマイザー」=B社のように別メーカー同士でカスタムすることが出来る。カメラとレンズみたいな感じ。
現在、私はタバコのように吸いたいので「MOD」=KANGERTECHのKBOXmini+「アトマイザー」=VANDY VAPE Verserker mtl miniというカスタマイズをしている。
リキッドはAK47というバニラ+カスタード+コーヒーというなんとも甘くずっしりとしたフレーバーを使っている。
「MOD」+「アトマイザー」+「リキッド」で無限のカスタマイズが出来る。
しかも「アトマイザー」にも方式(種類?)があり、予め作られたコイルを組み込む「クリアロマイザー」というものと、コイルを自分で巻いて、コットンをセッティングする「RBA(リビルダブルアトマイザー)」というものがある。
クリアロマイザー⇒既製品
RBA⇒自家製
みたいな感じ。
私が今使っているVerserkerは後者の「RBA」という種類。
「このリキッドの味を最大限味わう為には、抵抗値を高くして、低い電力でゆっくり味わうと旨いだろうな。ああでもない。こうでもない・・・」なんて考えながら、コイルの種類を選び、巻き数や巻き方を調整する。
試行錯誤して自分が理想とする自分だけの「アトマイザー」を完成させる。
『自分だけの』って何かわくわくする。
これからは「リキッド」にニコチンを入れて紙タバコをやめようかと思う。
但し、日本の薬事法ではニコチンは国内での販売、譲渡は禁止されている為、海外から個人的に輸入するほか無い。(ニコチンは劇薬。ちょっと舐めたら死ぬ。使用は自己責任!)
お金について少し触れると、初期投資こそ必要だがVAPE(ニコチン入りだとしても)<<<紙巻タバコなのは間違いない。(VAPEだけにするとざっと計算で月の喫煙代は1/3になる)
健康面についても紙巻タバコよりは少なくとも害は少ない。(らしい)
決意無き禁煙は不可能だし、ストレスになるので、VAPEにハマっていくなかで減煙したいと思っている。
まぁだらだらと書いたが、言いたいことは『何かに夢中になることは生きる活力』であるということ。
私が休職したてのときは、趣味や楽しいこと、興味や欲が一切無かったし、考えられなかった。
私は「夢中になったことを評価しないということ」を心がけている。
2児のパパだが、普通「子育てに夢中になる」べきなのだろう。
もちろん子育てもしているし、死ぬほど子供が可愛い。
ただ、結局「子育てに夢中になる」というのは、世間一般の新米パパの理想像を勝手に描き、義務や指名を与えているだけに過ぎない。
VAPEという趣味が家族にとって、「子育て」にとって必要なことかと問われるとNOだと思う。
やりたいことは良否を考えずやる。
それが夢中になるということだと思う。
飽きてやめてしまってもいい。無計画に楽しむ。
だからこそ毎日に活力が沸く。
活力があれば会社に来れる。給料が出て家族が食える。
もう一つ病気になって思うことは、「もっとわがままでいいじゃないか」ということ。
自分の人生。『我』の『まま』じゃないと楽しくない。
うつ病は自分の人生を取り戻すきっかけになったような気がする。
趣味のはなしでした。
復職生活~暇~
暇だ・・・・・
何もやることが無い・・・・
復帰して1ヶ月弱だが、仕事が何も振られない。
上司から「何か頼みたいんだけど、何も無いんだよね・・」
年末の挨拶やら新年の挨拶やらで上司もどたばたしており、時期的にも企画業務はほとんど無い。営業やっていた頃は休む暇なんて1ミリもなかったのに、企画となるとこんなにも暇なのか。
前回復職したときは、何かの役に立とうといろんな人に「仕事無いですか!?」「手伝えること無いですか!?」って聞きまわり存在価値を見出そうとしていたけど、自分は頑張りすぎてしまう部分があるので自身をセーブするために「振られた仕事だけをやる」ことに決めている。
焦らない。がんばらない。
でもそれ、難しい。
なにか暇なことが悪いような気がして・・・
本当に時間が経過しない。
暇だといろんなことが気になる。キャビネットが閉まる音、営業マンの電話の声、コピー機の音、女性の雑談している声、今日の弁当はなんだろうな、背中がかゆいなど等
今日もとりあえず、昨日の日記を書いて、こうしてブログを書いて、ネットサーフィンかな。
暇も疲れる。会社に来て、机に座る。これもリハビリ。
あとで趣味のブログを書こうかな。
復職。自分を大切に。
昨年の年末に元の職場に復帰した。
休職期間は約半年。リワークセンターに通いながら、日々正しく生活し、家族と過ごせる時間を楽しみ、回復する自分を確かめ、復職することに対する恐怖と戦い・・・・
今振り返ると一進一退しながら恐怖や不安を上書き保存するように、楽しいことや、何かに夢中になったりしてちょっとずつ回復していった。そんな感じ。
やっていたことは、「マインドフルネス瞑想」、「今日あった良いことだけを書く日記」、「誰かを話しをすること」、「コラム法」、「フットサルやロードバイクなどの運動」
そうしてたら徐々に外に出かけれるようになって、人と会話が出来るようになって、笑えるようになって、日々が楽しく感じるようになって、自信がついた。
そして2017年12月18日に職場復帰した。
今は復帰直後ということもあり、仕事が与えられず毎日暇と格闘している。
9時に出社し、8時間の暇を過ごし、17時30分にそそくさと会社を後にする。
しかし、ほぼ毎日充実感を味わっている。
「今日も会社に来れた。」
今まではこんな考えは絶対に許せなかった。
アウトプットなき者は悪であり、必要の無い人間と思っていた。
前回、復職に失敗した際は、「働く意味、職場にいる意味は誰かの役に立つことであり、人に感謝されることを何かしなくてはならない。」と強く思っていたため、誰か見つけては「仕事ないですか?手伝うこと無いですか?」と聞き回っていた。
そのうち仕事を任され、充実感と「働いている」実感を胸に奮闘したが、以前の自分では無い為、仕事がうまく回らず、抱え込み朝から晩まで仕事のことで頭がいっぱいになった。
自分が考えてたこの世に必要の無い「アウトプット無き者」になっていることを自覚し、たまらなく恥ずかしくなった。
結果、体調を崩してしまった。
でも今は自分は恥ずかしいとは全く思わない。
こうして会社に来ていること自体が、今までの積み重ねであり、その積み上げたものを量増しすることは出来ないから。
今は会社というストレスフルな環境に身を置く事が、一番自分にとって必要な薬だと思う。
あと、今感じることはもう少し自分を中心に物事を考えても良いということ。
今までは他を重んじるばかり、傷ついて疲れた。
他人がいるから比較するわけで「あいつは出来るのに俺はなぜ出来ないのか」「俺ってダメな人間だ」「俺は世の中に必要とされていない」と感じる。
他人なんてくそ食らえとまでは言わないが、もっと自分を大切にすることは大事だと思う。
自分を大切にするということは、「辛いなら逃げちゃえ」「言いたいことがあったら言っちゃえ!」やりたいんだろ?やればいいじゃん!」って自分自身に声をかけてあげること。
他人はどう思うんだろ?って考えなくて済む。今まで他人の感情を先回りして考え過ぎていた自分からしたら、そう思うことでちょうど良いバランスになると思う。
だから自分を量増ししない。自分を蔑まない。無理をしない。
このままで良い。病気は順調に回復している。
うつ病のきっかけ 続編
こんばんわ。
Reworkerです。
今日はリワークセンターを休んで1人家で過ごしました。
ファミマで焼き鳥とソーセージ買ってぼぉっとしながらビールで乾杯。
最高。至福。
体調は少し良くなったみたいです。
疲れてたのかな。
さて、昨日に続いてうつ病になったきっかけを書こうと思います。
一度目の休職は約3ヶ月ぐらい。
先生の言われる通り仕事から頭を離してとにかくゆっくり過ごしました。
家族とどこかに行ったり、花火したり。
そんな生活をするうちに徐々に旅行に行きたいとか、自転車がほしいとかやる気と言うか欲と言うか。
そんなものが出てくるようになりました。
そのうち『仕事に復帰してこんなことがやりたい』みたいなものを考えれるようになりました。
薬は飲んでましたが休んでいるだけで良くなった『気』がしてました。
『適応障害』とはストレス源から離れれば良くなる病気だったからです。
また、気分の落ち込みは継続的ではなく、徐々に回復していきました。
先生のゴーサインも出て、晴れて職場復帰しました。
職場に戻った私は、担当の営業を離れ、いわゆるお手伝いさんみたいな企画の仕事を任されました。
今までハードワークに慣れてた私は、物足りなさを感じていましたが、毎日会社に行き仕事をしてました。
そして、今年の4月から営業に復帰しました。
私の想いとしては、以前やっていた分野の営業がしたかったのですが、元の上司(元教育主任)が、拒否したらしく違う分野の営業を任されることになりました。
とは言ってもやる事は一緒なのであまり抵抗なく出来ていました。
唯一の抵抗としては、同僚にありました。
『人は使い捨て。利用してなんぼ』という考えを持っている先輩と後輩です。
私のポリシーとしては『お客さん、社内の人も大切なパートナー。何かのためではなくて、誰かのために仕事はする"べき"』という考えを持ってます。
私の席の真向かいにその先輩と後輩が座っているのですが、毎日のようにかなり年上の方にクソ生意気な言葉を吐いていました。
私は毎日その言動にイライラしてました。
そのように自分で精神衛生を悪くしながら日々の膨大に増えた仕事をしてました。
色々な葛藤をしながは営業復帰して1ヶ月経とうとしてた頃、なぜか食欲が無くなり始めました。
毎朝起きると頭が重たい。
全て白黒に見える。
人の言葉と文字が頭に入らない。
あれ?
これは。。。
適応障害?
幸運にもゴールデンウィークが訪れて、休暇を取ることができました。
仕事のことは気になってましたが、しっかり休むことが出来ました。
ゴールデンウィークが終わって仕事がある生活に戻りました。
まだ調子が悪いな。
昼ご飯はいつも同僚と一緒に食べるのですが、なんか1人になりたい。
いつも川のほとりに行って、妻が作ってくれたちいさなおにぎりを食べたり、食べれなかったり。
みるみる痩せていきました。
そのうち、辛い。逃げたい。消えたい。と思うようになりました。
普通は何ともないことが、出来ない。
無力感。
またいつもの心療内科に事情を説明しました。
『うつ病です。』
病名変わってね?
どうも先生曰く、一過性のストレスに反応するのが適応障害。
性格や考え方から気分の浮き沈みを波のように、繰り返すのがうつ病。
私はどちらも持っているとのことでした。
「また休みましょうか。診断書書いておきますね」
診断書をもらい上司に渡そうか渡すまいか悩みました。
私の両親や信頼している方の助言もあり上司に相談することとしました。
『課長。このような診断書を病院で貰いました。私としてはこのままの状態がとても辛いです。また休職させて頂けませんでしょうか?』
その上司も自身のお子さんが同じような事になったことがあるらしく、『今度はゆっくり治してきなさい』と言って頂きました。
本当にありがたい言葉でした。
そして2度目の休職がスタートし今に至ります。
これまで書いた内容は一部でまだまだ色んな事情がありますが、頭に浮かんだ過去のことを書いてみました。
(最悪だった時期の記憶が不思議とあんまりないです)
なんでうつ病になったのか?
はっきりと回答は出てませんが、今は病気に対する知識と、自分を受け入れ自身を取り戻すこと、復職に向けた訓練を頑張っています。
長い暗闇のトンネルをいつか出られるように。
次回は現在私がやっている治療法(?)について書こうと思います。
ではおやすみなさい。
うつ病のきっかけ
まだ眠れない。。。
。。。スプラトゥーンやってただけなんだけどね。
しかし、とにかく昨日、今日体調が悪い!
別にストレス溜まってたわけじゃないのだけど。
原因はおいおい分かるだろと気楽に構えて。
『どうしてうつ病になったのか』を書いてみる。
自分の性格は、うつ病になりやすい人のどストライク。
●〜すべき思考が強い。
●自分も人もネガティブなところが目につく。
●不真面目に見せて結構真面目。
●自分があまり好きではない。
●感情移入しやすい。
リワークセンターの講義でうつ病について勉強をしたけど、なりやすい人の性格に殆どで当てはまる。
調子いい時はこの性格が武器になるのだけど、生活リズムが崩れたり嫌なことがあるとこいつらがざわざわ騒ぎ出すんです。
本題の『なんで私がうつになったか」ですが。
昨日も少し書きましたが、現在結構大きめの会社に勤めてます。
そこには名だたる有名大学の頭良男くん、良子ちゃんばかり。
そんな中、私は地方の無名大学卒。
まぁ、義男くん、良子ちゃんとは頭の出来が違うんですわ。
社内ではまさに醜いアヒルの子。
(自分で勝手に思ってるだけですが。)
その中、自分にしかできないやり方で評価されようと必死にあの手この手探しながらもがいて、社内で表彰されたり、営業プレゼン大会では優勝したりしました。
でも心の中では
『俺なんかが褒められるわけない。』
『まぐれまぐれ。評価されたのもたまたま。』
ってずっと思ってました。
受験勉強努力して大学に受かったわけじゃないし。
大学時代はろくに授業に出ずに麻雀したりサークルしたり。
入社して早々、教育主任からは教育放棄され(自分のことしか頭にない主任でした)、それでも学ぼうと他の人に弟子入りして色々吸収しました。
その師匠は会社から厄介者扱いされている人で、その人に付き随う私も白い目で見られてました。
大体、これが三年目ぐらいまで。
それでも希望と『成り上がってやる』の気持ちでなんとか頑張れてました。
四年目ぐらいかな。
教育放棄した主任が昇格し上司に。
やはり自分しか頭にない上司は、課内のマネジメントを一切やりませんでした。
年間巨額の受注を目標とする仕事を個人商店でみんなやってました。
日々、納期や期限、受注活動、年度計画などに追われる毎日。
正直人間らしい生活は何年間も出来ていませんでした。
その中で私は徐々に衰退していき、本来やらないといけない目玉案件から目を背けるようになりました。
もう日々の傷を止血するのに精一杯。
自然とやりたくない仕事、責任の重い仕事から逃げるようになりました。
ふと周りを見渡すと同世代の先輩、後輩はきちんと楽しそうにやってる。
『そっか、俺バカで使えない人間だから、その人たちとは違うんだ。。。』
焦りにも似た使命感と、24時間のしかかる重圧、劣等感。
当然相談したけど、私と同じくいっぱいいっぱいでみんなやってるから、人の心配をする余裕がみんなない。
これが一生続くのか。。
あれ?俺って生きてる意味ある?
そうだ。妻と子供がいるんだった。
子供が高校卒業したら自殺しようかな。
(今考えるととんでもないこと考えてましたね。)
夜中に過呼吸を起こしたり、朝ベッドから出れなかったりしたので、『これはやばい』ってことで決死の覚悟で近所の心療内科にいきました。
先生『あなたは、適応障害ですね』
私『テキオウ?』
先生『休職してストレスから離れて、薬を飲めば良くなりますよ』
2年前、一度目の休職は『適応障害』になって始まりました。
ありゃ。3時になるじゃん!
今日はここまでにして、続きは明日書くとしよう。
あー体調悪ぃ。
明日は少しだけでいいんで良くなってますように。
最後に。
元気な人から見れば「ああすればいいじゃん。」「何言ってんの?それは甘えだ!」って思うかもしれません。
ごもっともです。
こんなこと言われるのが怖くなったので書いときます。
Rework〜復職〜の道のり スタート地点
課長。また。休職させてください。。。
30歳男性。世に言う一流企業の営業マン。既婚。娘2歳と息子3ヶ月のパパ。
そして。うつ病で休職中。
休職はこれで2回目。
休職から早3ヶ月が経ちました。
これからRework〜復職〜に向けてとその後について日々感じたことや出来事などを書きたいと思います。
はじめまして。
Reworkerと申します。
今日はブログのスタート地点として、簡単に現在の私の生活について書こうと思います。
現在は心療内科に通いながらリワークセンターって言うところに通ってます。
リワークセンターとは復職支援をしてくれるNPO法人です。
復職や再就職、転職に向けた支援してくれます。
どんなことをやるかと言いますと、、、
午前中は仕事と同じ環境に慣れる為に、机に向かってそれぞれの課題や作業を集中して実施します。
私の場合はうつ病に関する書籍を読みそれをワードやエクセルに纏める作業をしてます。
午後は曜日によって別々のカリキュラムが組まれてます。体力づくりをしたり、マインドフルネス瞑想をしたり、グループワークをしたり。
コミュケーションを取ることを目的としたカリキュラムです。
小学校の授業みたいですがそれを週5日〜6日で。
そんなリワークセンターに行って、帰ったら家族と飯食って寝る。
まぁ、大体こんな感じ。
今日がブログのスタート地点ですが、日々進む復職までの砂時計の中で変わってく心境の変化とその後をB"LOG"として残したいと思って始めました。
うつ病についてばかりは書きませんが、たぶんそれが中心かな。
では初日はこの辺で。